ところで、地蔵盆の風習は関西だけ?関東でもあるの?
さて、関西では馴染み深い地蔵盆も、関東では言葉すら知りません。
ほとんど京都を中心とした関西圏のみで行われています。
京都でうまれた地蔵盆の行事は、お稲荷さん信仰がある関東には広まらなかったそうです。
では、一体どうやって地蔵盆は生まれたのでしょうか?
これもまた複数の説があるのですが、多く伝えられている一説をご紹介します。
地蔵盆のはじまり
地蔵菩薩の化身である閻魔大王は、苦しんでいる死者のために、自分の体を焼き同じ苦しみを味わっていました。
それを目撃した平安時代の歌人「小野篁(おののたかむら)」は、閻魔大王(地蔵菩薩)を苦しみから助け出すために供養をはじめ、現在の地蔵盆になりました。
なんともファンタジー感の強い言い伝えですね。
しかし、普段子供達を守ってくれているお地蔵さんにきちんとお礼を伝え、また1年のご挨拶をする行事は良いものですね。
地蔵盆で何するの?
地蔵祭では、地蔵のある町内の人々がこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。
地蔵盆の前後には、地蔵の据えられる家や祠の周囲などに、地蔵盆独特の提灯が多く飾られる。
京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。
おおむね女子は赤、男子は白で、その子が地蔵盆に参加しているあいだは、毎年飾られる。
地蔵祭においては特に子供が地蔵の前に詣り、その加護を祈る習わしになっている。
ところによっては、仏僧による読経や法話も行われるが、おおむねそれらの多くは子供達に向けたものである。
地域によっては、地蔵盆当日の朝に「数珠回し」を行う。
これは、町内の子供が、直径2〜3メートルの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。
今日では地蔵盆は子供のための祭とも言え、地蔵に詣った子供達は地蔵の前に集まった席で供養の菓子や手料理などを振る舞われる場合が多い。
また地域の子供達が一堂に会するため、子供達に向けたイベントも行われたり、そのまま子供達の遊び場となることもしばしばである。
初日朝に地蔵盆の用意をし、仏僧による読経、子供におやつの配布(日に一度か二度)、夜のイベント(踊りや線香花火など)。
翌日、おやつ配布、お供えのお下がり配布、後片付けといった流れが多いようである。
しかし、子供が少なくなったことや大人たちの都合がつきにくくなったりすることから、一日で終えてしまう町内も増えつつある。
地蔵盆、初盆、お盆の違いとは?
「盆」と名のつくものって多いですよね。
「盆」と聞けばお盆を連想しがちですが、この地蔵盆や新盆なども存在します。
最後にそれぞれの違いをご説明します。
新盆とは
亡くなった方の四十九日が過ぎたあと、初めて迎えるお盆のこと。
新盆では特別な供養を行うことがほとんど。
お盆とは
旧暦7月15日の仏教行事のひとつ。
その家の先祖を祀り、供養をする。
現在は8月中頃に行われる。
そして地蔵盆は、子供達を1年間見守ってくれたことに感謝し、また1年間のご加護をお願いする日ですね。
元々は閻魔大王を供養したことが始まりでした。
どれも「供養する」といった意味合いが込められているのが「盆」なんですね。
まとめ
≪のし袋≫
基本的には、赤白の水引。
のし表書き:「御供」「お供え」「御尊前」「灯明料」
地域により、黄白の仏事用。
のし表書き:「志」
≪お供え料の金額≫
2,000円~3,000円が一般的。
子ども会や町内会で徴収される場合も。
はじめての地蔵盆。
地蔵盆ってなに?お供えが要るの?と、地蔵盆を知らない人なら誰しも戸惑うでしょう。
そしてのし袋の選び方からもわかる、地域差が激しいことで有名です。
その地域の特色に合わせて行うには、地元の方に思い切って聞いてしまうのが一番です!
はじめての地蔵盆でも、その地域のやり方をマスターしてしまえば怖いものなしですね!