須賀川「松明あかし」の起源・由来は?
それではなぜこのように巨大な松明を燃やすお祭りがはじまったのでしょうか?
由来についても見てみましょう。
松明あかしの起源
現在の福島県の約5万7千石を須賀川城主二階堂家 が治めていました。
そこに1589年、北東北を治めていた伊達政宗が攻めてきました。
長く須賀川を治めていた二階堂家を守ろうと10月10日の夜、手に松明を持って街の東側にある十日山に集まります。
そこで家臣だけでなく、領民も決死の覚悟で須賀川城を守ることを決意し闘いがはじまります。
しかし、二階堂家の重臣が裏切り伊達家に内通していました。
合戦の最中に、城下の風上にあった寺に火を放たれ、城下は火の海に、須賀川城は燃え落ちてしまいます。
家臣の大半は須賀川城と運命を共にし、大量の犠牲者が出ました。
松明あかしは、この戦で亡くなった二階堂の家臣や領民の魂を弔う為にはじまったお祭りです。
須賀川「松明あかし」は三大火祭の1つ。あとの2つは?
日本三大火祭の1つに数えられる須賀川松明あかし。
三大火祭の残り2つについてもご紹介します。
福岡:鬼すべ神事(おにすべしんじ)
毎年1月7日に福岡県の大宰府天満宮で行われるお祭りです。
その年の災難除け、開運招福を祈る神事で、300人の氏子さんが、鬼係、鬼を退治する係、鬼を守る係に分かれ、炎の燃え盛る松明を持って迫力ある鬼ごっこを繰り広げます。
公共交通機関:西鉄太宰府駅から徒歩5分程度。
太宰府天満宮 公式サイト:
福岡:大善寺玉垂宮の鬼夜(だいぜんじたまたれぐうのおによ)
福岡県久留米市で1月7日に行われます。
全長13mの火のついた松明を氏子たちが境内を廻ります。
この火の粉を浴びると無病息災にきくといわれています。
国の重要無形民俗文化財に指定されている千年以上の歴史あるお祭りです。
公共交通機関:西鉄天神大牟田線「大善寺駅」下車(徒歩5分)。
JR「久留米駅」より西鉄バス(15)番利用、「宮前」バス停下車(徒歩3分)。
JR「荒木駅」よりタクシー利用(約10分)。
車:九州自動車道久留米ICより約40分。
大善寺玉垂宮 公式サイト:
まとめ
須賀川松明あかしは、伊達藩から須賀川城を守ろうと犠牲になった家臣や領民の魂を弔う為にはじまったお祭り。
毎年11月の第2土曜日に開催され、2023年11月11日(土)。
みどころは
最大10mにもなる巨大松明への点火と松明太鼓の響きの共演
松明は燃えていますが、11月の福島はコートが無いと厳しい位寒いので、防寒対策はしっかりしていきましょう。
30本もの巨大松明が燃える様子は、福島の冬を彩る熱いお祭りです。