リオのカーニバル!リオのカーニバルの歴史は?
リオのカーニバルの歴史
正式名称を『Carnaval do Rio de Janeiro』といいます。カーニバル期間中に渡伯する観光客は150万人超にもなるイベントです。
「中南米のトリニダード・トバゴのカーニバル」「欧州のヴェネチアのカーニバル」「ブラジルのリオのカーニバル」が世界三大カーニバルと言われています。
ブラジルでは、ポルトガル植民地だったときにカーニバルの文化が伝わりました。
1641年、当時のポルトガル皇帝即位を祝し、リオの総督が騎馬隊を引き連れて行進したことが始まりとされています。
現地の人にとっての「カーニバル」とは
カーニバルとはキリスト教のイースターの40日前から始まる謝肉祭(復活祭)の禁欲期間前のお祭りです。
イースターとはイエス・キリストが十字架に張り付けられた3日後に復活したことを祝う復活祭の行事のことを指し、イースター時は飲食や生活全般、心身潔め慎んだ行動をしなくてはいけません。
ブラジル人にとって一年で最も踊り騒ぐお祭りイベント。
禁欲期間前に飲んで歌って踊って騒いでが数日続きます。
カーニバルの1カ月前から、町では至る所でブロッコと呼ばれるお祭り騒ぎが行われ、町中が異常な熱気に包まれます。
現在の「カーニバル」は?
1933年からコンテスト式のサンバカーニバルと形を変え、演出や踊りなど優れた音楽がどんどん発展していくようになりました。
サンバの踊りはもちろん、衣装や山車のテーマ、パフォーマンスなどを考慮して審査員からの採点、各項目のポイントにより順位が決まります。
1年かけて華やかな衣装や山車の制作費にお金と時間をたくさん費やします。
4日間で1年間培った努力の集大成が試されますが、収容人数の約9万人の観客の前でサンバの踊りを披露できるのは、予選で勝ち抜いた24チームのみになります。
1チーム最大8,000人のメンバーがいるチームもあります。
カーニバル会場は、マルケス・デ・サプカイア通りの「サンボードロモ会場」で行われます。
全長650mの一本道で、両側に観客席が設けられています。
コンテストは全4日間行われ、前半2日間は2部リーグ、後半2日間は1部リーグのパレードになり、各日6チームずつサンバチームが出場します。
4日間のコンテストを終えたら、数日後に採点結果が発表されます。
上位に入賞したチームだけが翌週末の「チャンピオンズパレード」に出場することができます。
2024年のカーニバルの日程・スケジュール
カーニバル期間は、毎年イースター(復活祭)の四旬節前の土曜日から月曜日まで開催されます。
前日には前夜祭、終了後にはチャンピオンズパレードが披露されます。
2月9日(金)&2月10日(土) 2部リーグ
2月11日(日)& 2月12日(月) 1部リーグ
21:00〜22:00頃からはじまり、閉演は朝の4:00〜5:00になります。
カーニバルが終わった次の土曜日に、上位6位までに入賞したチームの「チャンピオンパレード」があります。
2月17日(土) チャンピオンカーニバル
上位のチームだけ見たいという人はこの日に見るのが間違いないです。
参照サイト:
リオのカーニバル開幕 サンバのリズムにのって(12/02/18)
リオのカーニバルといえばサンバ!サンバとはどんな踊り?
サンバは、ブラジルの代表的な音楽(ブラジル音楽)の一つで、毎年12月2日がサンバの日と定められています。
そしてこの日には「サンバカーニバル曲集」が発売されるのです。
サンバは、アフリカ系奴隷たちによって、ブラジルの街頭の音楽であるショーロなどを混ぜ合わせて生み出されました。
リオのカーニバルの主要なダンスであるサンバはバトゥカーダという、おもに打楽器演奏を基盤にしたダンスと音楽で歌いながら、踊りながら、パレードすることを可能にするようなリズムが必要とされて、誕生したものです。
あの過激な衣装にもルーツがあります。
日本では「Tバック」と言われるような衣装は、もともとはブラジルの民族衣装で、「タンガ」と呼ばれていました。
アマゾン川に生息する、ナマズの一種である「カンディル」が体内に入るのを防止するもので、当時は陶器製のものが主流でした。
リオのカーニバルにタンガが利用されるようになったのは、先住民族の文化を取り入れるためで単に露出をしたほうが目立つという理由ではないのです。
ブラジル・リオのサンバ・カーニバル(1) / Samba Carnival in Rio de Janeiro(1)