大阪の真田まつりといえば!「三光神社真田まつり」!
まず、会場となる真田山三光神社についてですが、真田幸村ファンなら誰もが一度は訪れたい場所の一つです。
なにせ、神社内には真田幸村の甲冑姿の像があり、幸村が作ったとされる「真田の抜け穴」と呼ばれる大阪城と真田丸を結んだ地下通路があるんです。
現在でも保存されている「真田の抜け穴」は、ファンならぜひとも生で見たいものです。
真田まつりの概要
そんな真田幸村とゆかりのある真田山三光神社では、毎年11月の第1日曜日に「真田まつり」が開催されます。
開催日:2023年11月5日(日)
このお祭りの日にだけ、普段は鉄格子が設けられている「真田の抜け穴」も一般客に開放されます。
そのため、毎年、幸村ファンが多く集まる人気のイベントです。
例年行われているイベントとしては、子供たちへの無料甲冑貸し出しやオカリナ演奏、真田にちなんで忍者ショー、鉄砲撃ち体験などが用意されます。
戦勝式典/10:00~、抜け穴開放/10:30~14:00、子供甲冑試着体験/10:30~
三光神社 公式HP:
真田山三光神社へのアクセス方法
公共交通機関:JR「玉造」駅から徒歩5分、地下鉄「玉造」駅から徒歩2分。
真田山三光神社に行かれる際は、電車を利用されるのがおすすめです。
幸村を愛した男その弐:三光神社真田まつり
おまつりの日しか見れない!「真田の抜け穴」とは?
現在は、鉄格子があり、普段は鍵もかけられている「真田の抜け穴」ですが、約40年ほど前までは誰もが自由に中に入ることができたそうです。
そのため、地元の子供たちの間では「抜け穴に入ったら出てこられない、死んでしまう」などの噂が広まったこともあったそうです。
しかし、誰もが入れたために、ホームレスの人が住み着いたり、子供が秘密基地にして遊んだりと、宮司さんを困らせていました。
そんな時に取材で訪れた人間国宝の桂米朝さんが『抜け穴をあのままにすべきではない、きちんと管理すべきだ』と助言したことで、鍵をかけるようになったそうです。
そのため、現在では年に一度訪れる真田まつりの日のみ、「真田の抜け穴」が解放されるのです。
「真田の抜け穴」の諸説ある歴史話
そんな「真田の抜け穴」ですが、実のところ、幸村が掘ったかどうか怪しいようです。
中に入ることができないので定かではありませんが、子供の頃に入ったことがある人々は途中で左に曲がっていると証言しており、これだと大阪城と反対方向になるそうです。
歴史マニアの中では、冬の陣で幸村が掘ったのではなく、攻め込んでいた家康が掘ったという人もいます。
実際、戦前に上町台地の空堀通りの周辺にも数か所、同じような抜け穴があったそうですが、子供の遊び場になって危険と判断されて、埋められてしまったそうです。
家康が長引いた籠城戦において、穴を掘って本丸地下に爆薬を仕掛けるという噂を流すために、これ見よがしに掘った可能性があります。
その証拠に、真田丸の中心から東に数百mも離れたところに抜け穴はあり、真田丸の外側になると言われているのです。
幸村に関する資料はほとんど残っておらず、伝承ばかりが各地に残っているので、本当のところははっきりしませんが、幸村にゆかりがある抜け穴であることは間違いないようなので、気になる方はぜひ一度見に行ってみてくださいね。
真田の抜け穴~大阪城梅林 Secret Passage of Sanada~Plum Garden in Osaka Castle Park