石川県の5月といえば「美川おかえり祭り」!どんなお祭り?
今年の美川おかえり祭りですが、毎年5月の第3土曜・日曜に開催されます。
ですので、今年の開催概要は以下のようになっています。
開催日:2023年5月20日(土)・21日(日)
開催場所:藤塚神社(石川県白山市美川南町)
春季祭礼『おかえり祭り』の現在の形が整って きたのは、文化文政年間(1804~1830)と言われています。
一日目を神幸祭、二日目を還幸祭と呼びます。
一日目の神幸祭では、早朝美川町の裏鬼門にあたる藤塚神社本社より、青年団に担がれた八面四扉の精巧華麗な神輿が、豪華絢爛な十三台の台車に先導され、お発ちになります。
旗手の合図に進軍ラッパを高らかに吹き鳴らし、町中が祭り一色となります。
氏子一軒一軒を厄祓いして巡り、夜半表鬼門にあたる御旅所にお着きになります。
二日目の還幸祭では、夜の帳が降りる頃、神輿はおかえり筋の男衆に担がれ御旅所をお発ちになります。
一番鶏が鳴く頃までには本社にお着きになりますが、お還りに通る町筋は十町のうち一町のみをお通りになり、その年の『おかえり筋』と呼ばれ、おかえり祭りの名前の由来となっています。
おかえり筋の家々では十年に一度の還幸に 、親戚友人知人を招き宴を催し、過去十年の報恩感謝と未来十年の祈願 の意義から『みたま』と呼ばれる『こわ飯』をこしらえもてなします。
また紋付袴の白襷姿の正装で行う祭りは全国でも珍しく、安政四年(1857)京都仁和寺『御室御所』より、菊花紋章入り神輿の日覆を下賜され たことに、敬意を表したものと言われています。
廻船業『北前船 』で 大きな財 を築いた『紺 屋(竹多)』『明翫屋(山田)』の町内の富豪の功績により、守護の鉄棒、正一位日吉神社の社頭額と共に下賜されました。
『おかえり祭り』は、幕末~明治初期にかけて『北前船』が繁 栄した頃の町衆文 化を今日まで継承しており、平成十三年十二月、石川県無形民俗文化財に指定され、令和二年六月十九日には、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財に認定されました。
イベントお問い合わせ:白山市観光課 076-274-9544
関連サイト:
地元の方にとっては「美川おかえり祭りのために一年を過ごすと言ってもおかしくい」と言う方も多くいるほど愛されているお祭りで、祭りの前のラッパの練習がはじまると「今年も美川おかえり祭りがやってくる」と楽しみにされています。
もちろん遠方から見に来る方も多く、また両日ともに深夜までの開催となっていますので、事前にどんなものがあるのかは知っておいたほうがよいですね。
お祭りの光景については動画で見ていただくのが一番かと思いますので、ぜひこちらの動画も確認してみてくださいね!
加賀の祭り 美川 おかえり祭り No1 2018
美川おかえり祭りといえば「ラッパ」!「台車」!すごい迫力なんです!
巡行図 神幸祭
巡行図 還幸祭
美川おかえり祭りの目玉といえばやはりラッパと台車ですね!
神輿と13台の台車が町中を巡行し、ラッパの音色が響き渡ります。
初日はまだ暗い時間、早朝から「招集ラッパ』が鳴り響き、神輿とラッパ集、そして13台の台車が悪魔祓いの獅子の先導で神社を出発し、町内を練り歩きます。
紋付き袴姿の出で立ちで揃えられ、夜21時ころにご旅所の高浜に到着し始めますが神輿が到着するのは23時頃と、朝から夜まで一日丸ごとのスケジュールになっています。
二日目は19時頃にお旅所から出発し、10年毎に巡る「おかえり筋」という通り筋を練り歩きながら帰ります。
台車は漆や蒔絵で彩られ、神輿も金色の華やかなものとなっていて、その姿を見るだけで祭りを強く感じさせてもらえるものとなっています。
最初にお話した通り美川おかえり祭りの始まりは江戸時代と古く、300年以上の歴史を持っています。
この頃の三河地域は北前船が寄港する本吉港として栄えており、その財力を背景に台車などが作られました。
美川おかえり祭りは盛大なお祭りで、過去には「祭りが華美になりすぎないように」など言われたこともあるそうです。
そんな美川おかえり祭りのラッパのメロディ、そして台車の大きさなどは実際に見ていただくのが一番ですので先程の動画、またはこちらの動画もご確認くださいね!
当日何時頃神輿や台車を見ることが出来るかについては「巡行図」をご確認いただければと思います!
おかえり祭り公式サイト:
2013.5.18美川おかえり祭りラッパ
おかえり祭り 中町台車 和波町にて 5月 21日, 2011年